へちまの由来(2017/1/4)

今日から今年の外来が始まりました。同時に精神障がい者グループホーム「へちま」が本格オープンしました。へちまの名前の由来について記します。

「世の中は何のへちまと思へども ぶらりとしては暮されもせず」という狂歌があります。この歌にちなんで名づけられた一膳飯屋へちまが、大正時代の東京谷中にありました。僕がそれを知ったのは「大正自由人物語」という本からです。1988年新潟大学1年生の時、萬松堂で見つけました。へちま店主は民衆芸術家の望月桂という人で、大正デモクラシーの自由人が集まったということです。僕が憧れるアナーキーなアジトだったらしく、僕はその本を興奮して読み、たくさんの線引きや書き込みをしてもちろん今も手元にあります。

植物としての糸瓜は何の役にも立たないように思われていますが、古く去痰薬や利尿薬として用いられてきましたし、今でもヘチマコロンという化粧水として販売もされています。また、実は乾燥させるとたわしや靴の中敷きとして利用されます。ただ軒先にぶらりとしているだけではないのです。

新潟大学に入る前、大阪の居酒屋でバイトをしていたこともあり、医学部生でありながら、なぜかいつかへちまと名のつく店(診療所ではない)を構えたいと夢見たのでした。あれから28年、ようやく夢はかなったのでした。

今年のキーワード(2017/1/3)

よろクリも今年9月で5周年を迎えます。9月2日(土)に記念イベントをやるのですが、日本統合医療学会新潟支部立ち上げもかねて行う予定です。そういうことからもいろんな意味で’統合’がキーワードになるかと思っています。
 今年初めて読んだ本のタイトルが「精神医学におけるスペクトラムの思想」(2016年11月発行)です。本の購入はほとんどアマゾンなのですが、昨年末数年ぶりに入った万代の紀伊国屋書店で見つけました。今まで診断分類に躍起となっていた精神医学界もある意味、統合を志向しようとし始めたように見受けます。正常との連続体(スペクトラム)としてみるということになると、その線引き、発症をどう捉えるかという点で’社会モデル’の考えが重要味を増してきそうです。僕はもとより社会モデル’派’なので歓迎すべきことかもしれないと思っています。

初夢(2017/1/2)

 当院臨床宗教師の太田宏人さんと話したことが刺激になり初夢を見ました。
 当院では開院以来、多職種による訪問ケア(アウトリーチ)を行ってきましたが、多くの方がその扉を開いてくれるようになりました。ここからが初夢です。もっと多職種でアウトリーチし、すべてを開いていただけるようになりたい。医者に胸を開いてくれる、看護師にトイレを開いてくれる、介護士にオムツを開いてくれる、管理栄養士に冷蔵庫を開いてくれる、精神保健福祉士に財布を開いてくれる、訪問坊主?に仏壇を開いてくれる。そして肛門が開いたとき、そばにいさせてもらえたら・・・
 少し医者のイメージがよすぎますかね?ま、夢なのでご愛嬌。臨床宗教師が養成されてもなかなか臨床実践の場がない。ならば介護士などの資格をもってコスト算定できるようにして医療機関に雇われる道を作ってはと思いました。

地球は今日も青かった(2017/1/1)

 あけましておめでとうございます。ささえ愛よろずケアタウンも今年5周年を迎えます。元旦を皮切りにブログを始めることにしました。
 今日のTVニュースもテロで始まりました。トルコで銃の乱射です。昨日の紅白で唯一はっとさせられた歌詞がありました。イエローモンキーの「JAM」という曲で、「外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに 乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「僕は何を思えばいいんだろう 僕は何を言えばいいんだろう」
 世の中の不条理を歌ったのだと思います。それを我が事のラブソングとして歌い上げるのはジョン・レノン以来の伝統といっていいかもしれません。自分と君との愛だけが真実。二人で見る夢こそ現実。でもそこでもしも…と考えてしまいます。想う「君」がもし殺されたときに銃を持つことはあるのか。それは「国」を想って銃を持つのとどう違うのか。いのちより価値があるものがある、とひとの脳が考えてしまう、それはどのような機縁でわいてくる考えなんだろう。きっといのちには濃淡がある、それが確かな実感なんだろう。すべてを濃いいのちと捉えるのは無理がある。本当に信じられるものの範囲はそのひとの人間大であるべきなのかもしれません。それを超えた愛や正義は信じないほうがいい。だからひとまず僕は国を信じません。
 宇多田ヒカルの「道」にはこういう歌詞があります。「ひとはみな生きてるんじゃなく生かされている」。僕も何年も前からことある毎に同じ事を言ってきました。但し僕のはもっと裏の意味があります。歴史をみればひとの歴史はまさに「袖ふれあうも’殺傷’の縁」で、殺さないでいてくれてありがとう、の世界です。日本もいわゆる建国以来つい400年前までどっぷりそうでした。相模原障害者施設殺傷事件もその歴史で考えるべきかもしれません。1970年、同じ神奈川県で、母親が介護を苦に脳性麻痺者の我が子を絞殺した事件がありました。母親に同情的な立場から減刑嘆願運動が起きたのですが、その時「青い芝の会」という脳性麻痺者の団体が、「母よ!殺すな」と立ち上がりました。「隣の芝は青い」。他人の幸福は妬まれ、自分の不幸は増幅される。「青く美しい地球」は常に想像の遥か彼方です。しかし思い起こすべきでしょう。地球は平面ではなく球体なのです。そのどの球面上の一点もすべて球の重心になる、という数学的事実を!学校では教えないのでしょうか?地球上のどの一点に立とうがそこが地球の重心であることを。「ひとはみな生きてるんじゃなく生かされている」には、「袖ふれあうも他生の縁」の世の中を日常の営みの中で具現化していく意識が必要なのだと改めて思います。

健康は均衡

平成28年5月22日に健康は均衡~こころの養生~と題した公演を行いました。健康とは?生き抜く力が強いとは?どういうことなのかなど身近なテーマでの話になっていると思います。

その公演の資料を添付しますので、是非一読してみて下さい。

健康は均衡資料

新潟県秋葉区 心療内科医の診察室より